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電磁波で死んでしまう前に

MacとかiPhoneとか、その他諸々のデジタルガジェットが好きなので、電磁波で死んでしまうかもしれない。その前に書き留めておこう、というブログ。

学生に買い与えるならOfficeのついていないパソコンを買え!は正しいか?

アプリ

「春からの大学生にパソコンを買うなら、Officeは付いてなくてもいいぜ」的な記事をどこかで見かけたけど、どこだったかな?

 

それがどこだったかはいいとして、その説は正しいのか、あるいは適切なメッセージになってるか。わたしなりの印象を書いておこ。

 

 

ソースを記録していないのだが、こんな主旨だったと思う。

 

  • Office付きだと2万円くらい高くなる
  • Officeがついてなくても当分は困らない
  • もし、Officeで作成したファイルの提出を大学から求められたらOpenOfficeで作成すれば問題なし
  • MicrosoftのOfficeが必要になっても、大学によっては包括的な権利で、学生が使える場合がある。それがなかったとしても後から買えばいい

 

こんな話だったと思う。

この話について、企業で採用、教育などに携わっている立場であることも含め、わたしの感想を書きたい。あくまでわたし個人の私見なので、そのつもりでお読みいただきたい。

 

 

 

0.話をすすめる前に

 

ここで言われている「Office」とは、まずはマイクロソフトMicrosoft)のOfficeである(以下、MS Office)。エクセル(Excel表計算)、ワード(Word。文書作成)、パワーポイント(PowerPoint。プレゼンテーション資料作成がメイン)といったアプリが含まれる。

今では安くなったものの、昔はOffice全体で4〜5万円くらいした、高いアプリケーションだった。しかもそれが、日本の企業などにおける一般的に使用されるアプリケーションになってしまっている。

だから、民間企業にはいる社会人は、こういうアプリを使えないといけないということが要請されている。

 

 

 

1.結論

 

概ね、正しい。

MS Officeがなくても、学生生活は送ることができる。

 

そもそも「論文、課題はWord形式で提出せよ」と限っている大学、教授側の上から目線が気になる。

提出される側の負荷はわからないでもないが、紙で提出すればいいし、電子ベースなら限定すな、と言いたくなる。

 

ただし、金額のことについては、あまり気にしなくてもいいかもしれない。

今日(2017/03/25 7時頃)、AmazonMS Officeが付いているパソコンを調べたら、42,800円という安いパソコンも売ってますし。

 

 

 

2.補足など

 

「Office形式で提出せよ」は大学側の傲慢だ。

 

民間企業がMS Officeを使っているからといって、それに迎合する必要はない。

それは企業にはいってから学べばいい。

 

Microsoftは企業、そして大学に金を出しているのだろうから、MS Officeをスタンダード、デフォルトにさせて、利益を出し続けたいのだろう。

でも、それは必須ではない。

 

むしろ、MS Officeに限定しているから、そこからの脱皮ができていないかもしれない、民間企業側が。

 

 

MS Officeでなくても、「Office形式」は可能だ。

 

教授のパソコンがOfficeの形式(文書だったら、拡張子が「.doc」)じゃないと読み込めないという事情なら、MS OfficeじゃなくてもOK。

元のソースで紹介されていたOpenOfficeでもOKだし、LibreOfficeもある。個人的にはLibreOfficeの方が使いやすい。いずれも無料。

 

これらの無料のOfficeはMac版もあるので、「パソコンはMacに決めてる!」という方にも有用。

 

 

 

 

 

 

難問でも考え続ければわかることがある:居酒屋の店員の不可解な行動でさえも

グルメ

わたしが時々行く居酒屋では、店員がこんな行動をします。

 

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※写真と記事は関係ありません

 

 

わたしが注文したもの(たとえば生ビール)を持ってきたとき、

 

店員「生、お待たせいたしました~」

 

と、わたしに伝え、生ビールのジョッキをテーブルに置き、奥に戻りながら大声で「生、お待たせいたしましたっ!」と叫びます。

わたしに背中を向け、歩きながらそう叫ぶのです。生ビールに限らず、食べ物でもそうです。

 

特定の店員だけではなく、そのお店の店員全員です。

この店は個人がやってるのではなくチェーン店です。そのチェーン店全部がそうしてるかはわかりません。

でも、同じ系列の他のお店からヘルプで来ているらしき店員も時々やってきて同じ行動しているので、きっとチェーン全体のことだろうと思われます。

 

 

わたしにはこの行動が不可解でしょうがありません。

すでに客には、注文したものを持ってきて客に伝えているわけなので、“背中を向け”叫ぶ必要はないはず。客側は、なんとなく困惑します。

 

みなさん、どうですか? わたしの説明している状況がイメージできます? そして、その状況は違和感ないです? 違和感あります?

 

 

 

サービスはどうあるべきか、おもてなしってどうあるべきか、どんなおもてなしがいいのかってなことをいつも考えるくせがついてしまっているわたしだからなのかもしれない、と思いながらも、どうですか、みなさん。(わたしの仕事が、サービスとはなにか、と考え実践する仕事というわけでもありません)

 

この店に来るたびに考えました。店員に聞いて正解を得てもいいんだけど、アルバイトらしき若者に聞いてもわからないかもしれません。

ってことで、考え続けました。

 

そして今では、こういうことなんじゃないかな、というわたしなりの回答が頭に思い浮かぶようになりました。正解かはわかりませんよ、でも。

わたしなりの回答とは・・・。

 

 

そのお店は飲み放題、食べ放題をやってます。あと10分で飲み放題のオーダーがおわるというタイミングで、

 

「あと10分で飲み放題のご注文が最後になりますので、よろしくお願いします」

 

と注意喚起をしてくれますが、これが終わったあと、これまた奥に向かいながら

 

「1番さんへのお声掛け、終わりました~」

 

と叫びます。他の店員に「1番の客が時間制限を超えても注文しないよう、ちゃんと言っときました」と進捗を共有するものなのだろうと想像します。

これはこれでカチンときます。客をバカにした接客だとわたしには思えるのですが、店員間では重要な確認なんでしょう。「お声掛け」という表現も、お店なりに懸命に考えた単語かと思います。

 

この「店員間での共有」、それの一環が、冒頭の「生、お待たせいたしました」ではないかと。

生を持ってきたことを、他の店員にも共有する。そういう目的ではないか、と。

 

ファストフード店やカフェのカウンターなどで「1万円はいりま〜す」というのと同質ではないか、と。

 

客は、背中向けて「生おまたせいたしました〜」も「1万円はいりま〜す」も知ったコッチャないのですが、彼ら彼女らの中では重要な情報共有なのだろうと思います。

そう考えるようにして、冒頭の違和感はそれが普通なのだとあきらめるようにします。

 

とはいえ、不思議な光景であり続けることには変わらないのですが。

 

 

わたしなりの答えはこうですが、真実をご存知の方がおられたら教えていただけませんか。

 

 

 
リッツ・カールトン 一瞬で心が通う「言葉がけ」の習慣

リッツ・カールトン 一瞬で心が通う「言葉がけ」の習慣

 

 

YOGA BOOKを使っているぜ:可能性を感じること

タブレット ガジェット

YOGA BOOK、悪くないですね。

 

最初は、やっちまったか、でした。

WindowsのOSの見た目の悪さ、タッチパネルでの操作のやりづらさなど、タブレットとしてもパソコンとしてもどちらももう一歩。

 

でも、使っているとなかなかいいですよ。

 

そのきっかけは、USBハブ。これ、必携です。

わたしが買ってみたのはこれ。mini-USB・USBとUSBのメスのハブ、BSH4UMB04。

 

 

これでマウスが使えます。

マウスが使えることで、パソコンとしての利用ができます。

もちろん、マウスがなくてもできるけど、操作性があがります。

 

細かいところをクリックしたり、ウインドウを広げたり、そういった操作はマウスなしではかなりきつい。

マウスを使うことで、パソコンの役割を果たせるので、タブレット的な使い方との両立ができます。

Bluetoothマウスならハブは要らないけどね)

 

 

ハブにケーブルでつなぐだけで、iPhoneiPadも、アプリなしで認識できました。写真もドラッグ・アンド・ドロップでコピーできました。

 

YOGA BOOKの真骨頂、Haloキーボードも、奇をてらった感はあるものの、キーを押すとバイブしたり、しまうときはフラットになる、そういったギミックは重宝します。隙間がないし、多少液体がこぼれでも拭けばきれいになるし。

ちなみにキータッチは、筆圧を高くして書くシャーペンみたいな感じ。

 

もっと使い込んで、引き続きレポート書きますよ。

 

ちなみにわたしはWindows版。Android版が評判高いみたいですけど、風呂敷残業とか考えるとサラリーパーソンはWindows版がありがたいかな。

 

 

 

 

 

「恵まれない」子どもたちが共同生活する学園は、とても恵まれたコミュニティだった

雑談

森友学園や、関西の認定こども園など、子どもたちが育ち学ぶ場について、いやなニュースが連日続く毎日です。

残念なことです。

 

 

 

 



うちの近くに、とある施設があります。様々な事情があり、自宅で生活できない子どもたちが集まって共同生活しています。下は3歳あたりから上は高校生までの子どもたち。そして施設を運営する大人のスタッフがいる、そんな施設です。

詳しくは書けない事情があるので、仮にA学園としておきます。(問題になってるM学園ではありません。)

そのA学園にお邪魔する機会がありました。定期的に開催しているお祭り、そのお手伝いをさせていただくというものでした。

 

祭りでのラムネ

 

そのお祭りは「地域の方々に日頃からお世話になっている、その恩返しをする」そんな目的で、もう何年も続いているようです。

看板が2ヵ月ほど前から建てられ、近隣の住民にお知らせされます。また、A学園にいる子どもたちが通っている学校の先生、行政の方々の招待というのもあります。

露店での飲み物や食べ物の販売があり、子どもたちの遊戯があり、クイズ大会があり、太鼓の演武があり、と楽しいものです。わたしは飲み物販売のブースをお手伝いしました。




A学園にはいるまえ、わたしには思い込みがありました。様々な事情がある家庭を経験しているであろうことから、子どもたちはふさぎ込んでいる様子だろうとか、暗〜い表情だろうとか、園内も暗い雰囲気だろうとか。

 

 

注記
どんな事情で子どもたちがここにいるのかは書けません。イベントで知った子どもたちの名前も、イベントが終わり学園を出たら一切口外はしないというルールです。プライバシーのことであり、子どもたち自身もそれを気にしていることなどが理由です。ですので、この記事はあまり詳しくはかけないことをご承知おきください。

 


しかしそれは、実際には違ってました。

子どもたちはみんな明るく過ごしていました。明るいだけではなく、わたしが担当した飲み物販売も含め、露店の運営は基本は子どもたちなのですが、しっかり取り仕切ってました。

学園の大人のスタッフのサポートはあるものの、上級生が下級生や年下の子どもたちをサポートしたり、わたしたち大人ともコミュニケーションをとったり、生き生きしています。

偏見を持っていたわたしが恥ずかしくなりました。

 

 

イベントが終わって後片付けが終了。その後、ボランティアでお手伝いをした、わたしたち外部の人間たち(10人くらいいたっけかなあ)に、露店販売の食べ物をふるまってくださいました。 その際、スタッフの方と話をしました。

これまたこの期に及んで、わたしには思い込みがありました。イベントだからいつもより元気で明るかったのではないか、普段はさほど明るく元気ではないのではないか。あるいは、外部の人がお手伝いで来るから明るく元気に振る舞うように、という指導が子どもたちになされていたのではないか、と。

 

でも、スタッフの方に聞いた話は違ってました。むしろ普段のほうがもっと明るく、無邪気に動いている。外部の大人たちがきたので、むしろいつもよりおとなしかったのではないか、と。

また、上級生が下級生たちをサポートするのも、日常から行われているとのこと。スタッフの教育もあるし、自発的なものもあるようです。

学園の中の子どもたちの生き様がとても好ましく感じました。

 

一方、普通の学校とか地域社会ってどうなんでしょう。

わたしの子どもたちが通う学校は、いじめがゼロではないのですが、ニュースや新聞に出るというレベルまではいかない、比較的穏やかと言える学校です。

また、居住する地域も、さほど都会ではなく、まだ地域の連携というかコミュニティがあります。

しかし、上級生と下級生の関係とかはどうなんだろう。深刻なレベルでのいじめはないとはいえ、健全な社会だろうか。(かくいうわたしの子どもはいじめらしきものを受けていることは過去にご紹介しました。)

大人たちが自分の子どもだけではなく、他人の子どもに目を配っているだろうか。

 

さらに広げて、他の地域は、あるいは一般的な話として、日本は、子どもたちが育ち学ぶ社会として良い場所なのだろうか。今、進もうとしている日本の未来は・・・。

決して、日本全国すべてが良い場所とは言えない、ということが現実ではないだろうか。

 

A学園の子どもたちは、さまざまな事情があるということですから、きっとつらい過去を経験しているはずです。「恵まれてはいない」と言えると思います。

でも、そんな子どもたちは、みんなで支え、そして支えてもらうという関係が成り立っている。それをスタッフという大人たちが目を配り、時には指導したりしている。それはとても「恵まれた」環境に思えました。

 

 

わたしの勝手な想像ですが、彼ら彼女らは“様々な事情”がある、そのことから自分がしんどい状況にいる、誰かに助けてほしいことを自覚している。だからこそ、誰かを助けてあげたい、助けてあげなければ、という意識を持っているのではないでしょうか。

 

痛みがわかる人間だけが、やさしくなれる

 

高校を卒業すれば学園を出ていかなくてはなりません。その先もつらいことが待っているかもしれません。

でも、このコミュニティで育ち学んだ経験は、非常に良質なものとして今後の人生に活かせるのではないか、と思いました。


スタッフの人数や資金としては、A学園は決して楽ではなく、苦しいそうです。また、学園への入園を希望する子どもも多いそうです。決して甘くない現実はあります。

でも、言葉として適切ではないかもしれませんが、ピュアなコミュニティの存在をうらやましくさえ思えるほどです。

 

彼ら彼女らの姿をみて、わたしは自分が普通に生活している家庭、そして地域社会を、違う視点で見られる視点に立てる、そんなきっかけをボランティアを通じて得ました。

そこから見ると、森友学園認定こども園のニュースは、悲しくうつります。

 

「理事長が悪い」
「いや、政府が悪い。官僚が悪い」

 

などなど議論がされてますが、アホらしい。主役であるべき子どもたちがかわいそうな目にあっていることに目を向けたい。

周囲の大人たち(わたしを含む)が「子どもたちの育ち学ぶ場はどうあるべきか」を考え、行動に移らなければならない。それを突き付けられているようです。

 

 

 

 

日本のトイレは何がすごいのか:設備と文化、東京五輪に向けて

理想のトイレ

日本のトイレが世界的に評価が高いのはみんな知ってるよね。

 

 

 

 

 

温水洗浄便座

 

言わずと知れた、温水洗浄便座。

一般的には「ウォシュレット」(TOTOの商標)で有名ですね。

 

 

東京オリンピックにあわせ、操作パネルなどの表示を統一するという業界が一緒になって取り組むプロジェクト。以下の記事で紹介されてます。

 

sumaiweb.jp

 

 

ただリンクを紹介するのも能がないので、わたしのこだわりを。

同サイトからの画像を借りて説明しますと、温水洗浄便座の水勢(おしりを洗ってくれる水の勢い)は適度なのがいい。当たり前です。

 

INAXパネル

 

でも、その水勢が、ボタンを押す前にわからない場合があります。ボタンを押してみないとどれくらいの勢いの水がおしりにやってくるのかわからない。おしりを傷めている人など、とても大事なことです。

上記のこのパネルはわかりますよね。アナログ的だけど、ダイヤルそのものがその水勢を示していて安心感があります。

こういうこともちゃんとおさえておいてほしいですね。

 

 

 

トイレに対する文化、考え方

 

日本が、トイレに関して世界と圧倒的な差を持っているのは、これがあるからだと思います。

トイレを清掃すること、きれいに保つこと。それそのものが人の生きる道を示していること。

 

www.mag2.com

 

ダウンタウン浜田雅功が通った高校は、厳しく過酷な生活を送らせることで有名ですが、その1つに「素手でトイレを掃除する」というのがありました。

NHKだったと思いますが、浜ちゃんの母校ということを知るずっと以前に、この高校のドキュメント映像を見た記憶がありますが、大声を出しながらみんなが一斉にトイレを掃除するシーンを紹介してました。

 

上記のリンク先の記事は、トイレの掃除を通して不良の高校やはぐれものたちを更生していく、とある人物の取り組みを紹介してます。

それは日本に限らず、世界に向けています。トイレ文化が最悪と言われる中国までも出かけていって、啓発しています。

 

いい設備であっても、それをどう使うのか、人の側の有り様がまずければ意味無し。

しかも、トイレをどう使うか、清掃を通じて学べるのか。そういう意味では、日本人にもまだ十分知らされていない、トイレの掃除が意味するもの。

設備だけではなく、こういった文化も、日本は世界に向けて発信していってほしい、そんなふうに思います。